2010.02.23(Tue) 池田 信夫
景気が悪くなると中央銀行叩きが流行するのは東西を問わないが、民主党政権の特徴は日銀の政策に露骨に介入することだ。
菅直人財務相は、衆議院予算委員会で「1%程度のインフレ目標が望ましいという認識は(日銀と)一致している」と述べた。これに対して日銀の白川方明総裁は2月18日、金融政策決定会合後の会見で「インフレターゲットは意味のある目標ではない」と述べた。認識は一致していないわけだ。
マクロ経済学は昔からイデオロギー論争の場になってきたが、インフレ目標ばかり話題になる日本の状況は特異である。海外では、インフレ目標の是非が論争になることはほとんどない。
G7諸国でインフレ目標を明示しているのは英国とカナダだけで、FRB(米連邦準備制度理事会)もECB(欧州中央銀行)も拘束力のある目標は掲げていない。経済学者の間でも、物価安定目標としての有効性は認められているが、中央銀行がデフレをインフレにすることができるかという問題については否定的な意見が多い。
2000年代前半にはデフレが深刻化したため、日本銀行が政策金利をゼロにし、通貨供給を増やす「量的緩和」を行なったが、デフレを脱却できなかった。これは不良債権の処理に際して銀行の経営が不安定になった時、その資金繰りを支援して金融システムを安定化させる役には立ったが、景気対策としての意味はほとんどなかった、というのが白川総裁の総括である。
日銀が通貨を増発しただけではインフレは起こらない
インフレ目標を求める人々は、よく「日銀がお金をばらまけばインフレになる」と言うが、これは日銀が供給するマネタリーベースと市中に流通するマネーストックを混同した議論だ。
日銀の市場操作では、都市銀行などから短期国債などを買って銀行の準備預金口座に入金するが、増えた通貨を銀行が企業に貸し出さないと、マネーストックは増えない。
通常はマネタリーベースが増えると金利が下がるので、企業の借り入れが増えるが、現在のようなゼロ金利状況では、金利はそれ以上は下がらないので、通貨をいくら供給しても資金需要は増えないのだ。
この結果、2000年代に日銀が供給した35兆円に上るマネタリーベースの増加の大部分は、銀行の日銀口座に「ブタ積み」になり、マネーストックはほとんど増えなかった。余った資金は海外に流出し、低金利の円で借りて高金利のドルで運用する「円キャリー取引」を誘発してアメリカの住宅バブルを促進した疑いが強い。
ただ理論的には、金利がゼロでも、日銀が人々の予想に働きかけることによってインフレを起こすことは可能だ。例えば十分長期にわたって日銀が金融緩和を続け、景気が回復しても引き締めに転じないことを約束すれば、人々はインフレを予想して価格や賃金を引き上げるかもしれない。
しかしこの議論の難点は、このような約束をして実際に物価が上がり始めたら、日銀は約束を破って引き締めに転じるということだ。それを市場参加者が予想すれば、日銀がいくら目標を宣言しても効き目はない。
事実、2000年代に日銀の取った「時間軸効果」は、このような長期的な予想に働きかける政策だったが、それによって長期金利を引き下げる効果はあったものの、インフレは起こらなかった。企業が貯蓄超過になっている(金を借りない)ゼロ金利状況では、金融緩和によって解決できる問題は限られているのだ。
複雑な問題に簡単な答えはない
インフレ目標を主張する人々が依拠する最大の根拠は、GDPギャップがマイナス7%以上あるという政府の統計だが、これは金融政策でそれを100%埋められることを意味しない。内閣府の算出するGDPギャップの基準となる「潜在GDP」は、前期の設備利用率の平均を外挿したもので、今のように急速にGDPが縮小したときは過大に算出されている可能性がある。
例えば2009年の自動車輸出は前年比46%減となったが、金融政策でこのギャップをすべて埋めることは明らかに不可能だ。世界の自動車需要が大きく落ち込んだ実体経済の要因がほとんどだからである。
このように現在のデフレの原因が実体経済の落ち込みによるものか貨幣的な摩擦によるものかを区別しないで、むやみに通貨を供給しても問題の解決にならないばかりか、新興国に流れ込んでバブルを引き起こす恐れが強い。
日銀も「物価安定の理解」というゆるやかなインフレ目標を公表しており、0%以上のインフレを目指すとしている。「ターゲティング」という場合は、これより強いコミットメントを求め、達成できなかった場合に中央銀行にペナルティを課すのが普通だが、これは他の政策手段を犠牲にしても物価上昇率だけを高める無理な政策を誘発しやすい。
当サイトで上野泰也氏も指摘するように(「インフレ目標採用国に『反省機運あり』」を参照)、物価だけを見て金融政策を運営すると、2000年代のFRBのように住宅バブルを見逃し、取り返しのつかない結果を招く。実際の物価指数は、エネルギー価格や為替などの影響を受けており、中央銀行がコントロールできるとは限らない。
今、日本経済が直面しているのは、戦後60年以上にわたって続いてきた産業構造が、グローバル化やデジタル革命に適応できないという複雑な問題であり、これを解決する簡単な処方箋はない。
GDPギャップを埋めることは望ましいが、経済をすべて政府がコントロールすることはできない。インフレ目標で「日本経済の問題が簡単に解決する」などと吹聴するのは、政治家をミスリードして金融政策を混乱させるだけである。
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